2002.8.16
六斎念仏踊り
| 今から約1000年前、京洛の街に疫病が流行し多くの死者が出た為、仏教の末法思想と結びついて人々が不安に陥っ七その時、第60代醍醐天皇の皇子と伝えられる空也上人が、托鉢に用いる鉢と水を入れる瓢箪を叩いて、洛中の街々で「南無阿弥陀仏」を唱えて廻わり、人々の不安を取り除いた。この鉢叩き念仏が六斎踊りの起源とされている。 仏教で言う六斎日とは、毎月8日・14日・15日・23日・29日・30日の6日を言い、この日は悪鬼などが勢いを得て、人々に災いを及ぼすとされている。この日に、鉦と太鼓を打って念仏を唱えることから、「六斎」の名が生まれたと考えられる。そして、精霊供養の孟蘭盆会と相まって発展し、今日の原型が造られたのであろう。 近世に入ると、周辺の農村地域で都会の消費生活に憧れる若者の流出を防ぐため、多くの大斎講中が形成された。そして、洛中でそれぞれの技を競い合ううち、広く民衆の支持を得る為には、芸能化への道が避けて通れないものとなり、いくつもの派に分かれて行った。本日演じられる「中室寺大斎念仏踊り」は、宗教的色彩が薄れへ芸能性・大衆性を多分に採り入れたものである。江戸中期から明治初頭にかけて演目も増え、折りしも文化の中心が江戸から上方に移り始めたことにも影響されへ長唄・地唄・太鼓の曲打ち・獅子舞い等が導入されたことは、六斎の大衆芸能化に拍車をかけたものと思われる。現在の各六斎講中の採っている形式は、およそこの頃に確立されたものである。 大正・昭和にかけて、その隆盛を誇ったものの、戦争での中断・後継者難等で現在では数団体の活動に止まっている。しかし、昭和58年に文化庁から重要無形民俗文化財に指定され、各団体ともその復活に意欲を燃している。 ●壬生六斎 中堂寺六斎 吉祥院六斎など10数団体、 各保存会が京都各地で公開する回数は年20公開に及ぶ。 |
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